リスク研究会のあゆみ ‐故宮本純之博士の一周忌によせて‐

環境・安全推進委員会
                                          リスク研究会準備会

平成13年10月に、宮本純之博士から日本化学会「持続可能な発展におけるリスク研究
と化学者の役割」研究会(略称:リスク研究会)の設立申請書が提出され、平成15年1月
に準備会が発足した。その設置理由は、新しい観点に立ち、化学会会員の行動規範と環
境憲章に則してリスク研究の進路と化学者の役割を明らかにするためである。同月中に
化学会において、宮本純之(委員長)、池田三郎、辛島恵美子、北村 卓、栗原紀夫、
中村収三、西原 力(オブザーバー:黒川幸郷)が集まり、研究会の発足および今後の
方針についてフリー・トーキングをもち、リスク研究とともに化学会会員へのリスクの
考え方の啓蒙(リスクコミュニケーション)の重要性を再確認した。しかし、第2回目
の準備会を計画していたところで、宮本委員長が急逝され、活動も中断したままになった。
環境・安全推進委員会の委員である北村・西原を中心に再開を模索していたが、故宮本
委員長の意思を本誌に掲載するとともに化学物質のリスクに対する各準備委員の私見を
HP上に掲載することが本研究会の趣旨に合うと判断し、リスク研究会の活動を残念なが
ら正式発足前に停止することにした。(文責:西原 力[阪大院薬])

宮本さんとリスク研究会のこと

宮本さんがお亡くなりになってから一年が経とうとしている。筆者が本稿を記してい
るのも、日本化学会の「リスク研究会」に宮本さんのお誘いで入ったことによるが、そ
れまでは、宮本さんとのかかわりはそれほど強くなかった。日本化学会の「環境と化学
推進委員会」と日本化学工業協会での会合で何度かご一緒した程度である。ご一緒とい
うのもおこがましいほどで、宮本さんのご意見を拝聴する一方であった。勤務する会社
も異なれば職歴も異なり、そして何よりもその業績の偉大さは比べることすらできない
のは言うまでもなく、筆者にとっては宮本さんの考えを伺うだけで化学物質の管理とは
どうあるべきかという点について勉強となった。

宮本さんの考えは決してわかりにくいものではなく、むしろ企業人としてはわかりや
すい考え方と言えるが、宮本さんの口から説明を受けると自らの実践の中からの発言で
あって極めて説得的であり合理的であった。その宮本さんのお考えの「中間報告」が、
最後に著された「反論! 化学物質は本当に怖いものか」であろう。

この本の中には、宮本さんが自らの研究生活を体験して得た、化学物質は「使い方を
誤れば本当に怖いものである」との想いが凝集している。社会では「化学物質は怖い」
と思われているが、実際には化学物質の怖さを本当に知っているのは化学を学び、日常
的に化学薬品を取り扱っている我々であり、中でも宮本さんのように毒性を研究された
方であろう。その宮本さんが、この本で強調されていることの一つが「リスク」と「リ
スクコミュニケーション」である。現在は「リスクコミュニケーション」が一つの流行
であり、誰もが必要性を主張するけれども、実際には日本では化学物質に関して「リス
クコミュニケーション」が行われた事例はほとんどないに等しいし、特に化学物質と環
境とのかかわりについては、様々な憶測が飛び交っているものの、実際には「リスクコ
ミュニケーション」が成立するほどの知見も経験もない、というのが実状である。その
「リスクコミュニケーション」について、宮本さんは専門家としての立場を明確にする
とともに、専門性を持った部分について責任のある発言をするように求めている。この
ことは、あまり主張されないことである。ある特定の分野
(例えば毒性学)の専門家が、
それにかかわるすべての事項
(毒性学に限らず環境化学や分析化学等)についても専門家
であるような発言を行い、それがメディア等で権威ある発言のように報じられことがあ
る。そのため、あたかもそれが真実であるかのように社会で受け取られる事例は数多い。
宮本さんは、専門家はすべての分野の専門家では絶対にあり得ないし、「リスク」に関
しては特定の分野の研究解析だけでは回答が出せないことを知っておられた。そのため、
とりわけ第三者的立場にあるとされがちな学界の方が、専門外の領域に無責任な発言を
することを厳に戒められておられた。このことは、毒性に関する研究を極められた宮本
さんならではの謙虚な発言と取るべきである。

宮本さんは、日本化学会に「リスク研究会」を立ち上げることを強く主張され、自ら
設立にむけて積極的に活動された。前述のとおり「リスク」あるは「リスクコミュニケ
ーション」と言う言葉は、現在でも巷に氾濫しており、筆者も「今さら」の感を持った
ことを否定できないのであるが、「反論!・・・・」を通読してみると、宮本さんの
「リスク」に対する想いと日本化学会の会員へ向けたメッセージとが、端的に記されて
いるように思われる。専門家が専門家として「リスク」を考え、様々な選択肢の中から
「コミュニケーション」を通じて、妥当性のある解決に到達することが必要であり、そ
のためには化学の専門家である日本化学会会員が、企業あるいは研究機関に属するを問
わず、それぞれの立場から真剣に考えることが必要であると思われたからであろう。

残念ながら活動を開始し始めようとした矢先に「リスク研究会」は、宮本さんのご逝
去で、陽の目を見ないで一旦解散もやむを得ない状況となったが、社会は日本化学会に
化学の専門家集団として化学物質による「リスク」の問題に取り組むことを期待してい
るし、それに応えることが宮本さんの遺志を継ぐものと考える。
(文責:北村 卓[大日本インキ])

化学と工業誌 2004年4月号 掲載